第二の患者の手記

35才の旦那さんがガンになりました。2019年5月後腹膜原発胚細胞腫瘍ステージⅢと診断される。2019年11月経過観察へ。経験者の方のアドバイスなど頂けると嬉しいです。

夫が余命半年と宣告されたとき仕事を続けることは出来るのか。

 

旦那さんが今年の5月にがん宣告をされた時、私は再就職したばかりだった。

知人の紹介で始めたパートでした。

最低賃金で交通費もなし。

特に好きな仕事という訳でもなかったけれど、

『家庭優先歓迎!』

『お子様のイベント、風邪などにも対応』

『お子様の夏季、冬季長期休みも希望者は休みOK!』

『しかも次男の保育園から激近!』

という好条件に目が眩み、次男が卒園するまではここでお世話になろうと決めました。

 

 

 

旦那さんががんになったと聞いた時、なんとか仕事と看病を両立させられないかと考えた。

これからお金もかかるだろうし、時間の融通が利くこの職場ならなんとかなるんじゃないかと。

このころはまだ旦那さんも一人で病院に行けたし、検査で同行しなければならない時はシフトを変えてもらったりして何とかやりくりした。

でも余命半年と告げられた時、『旦那さんと少しでも長くいたい!』という思いが強くなり休職させてもらうことにした。

休職にも迷いがあった。

『旦那さんと一緒にいたいというのは私のエゴじゃないか』

『子供たちのためにも働いた方がいいんじゃないか』

『でもまだ研修中の身でほとんど戦力にもならないのに周りに迷惑かけながら働くのはどうなんだろう』

グルグル迷っている間に検査を重ねた結果、病名が変わり余命半年から5年無憎悪生存率は45%に変更された。

 

 

 

生存率が上がったことで精神的にはかなり負担は減ったが、時間の拘束自体は変わらなかった。

急な検査、診察、入院、退院。

予定はその日になるまで未定で、体調によってズレる事もよくあった。

更に化学療法によって旦那さんの体力は落ち、一人で歩くこともままならなくなってしまった。

抗がん剤による合併症により、寝たきりになったり死亡したりする可能性もあり、病院からいつ呼び出しがあってもいいようにすべての予定を破棄した。

仕事が出来るような精神状態ではなかった。

この時、次男の保育園の保育事由を『就労』から『看病』に変更した。

 

 

 

しかしながら抗がん剤の効果は目覚ましく、3クールが終わるころには副作用がある時期以外はかなり日常生活に近いレベルに回復した。

この頃から仕事の復帰を意識し始めたが旦那さんに相談したところ、

「今はお金のことより子供たちの心のケアを最優先してほしい」

と言われた。

旦那さんががんになってから長男は精神的に少し不安定な時期があったが、この頃には改善していたのであまり気に留めていなかった。

でも確かに旦那さんが言うと通り、治療に目途が立つまでは子供の傍にいた方が良いかも知れないと思い同意した。

回復はしているものの、この時点ではまだ治療があとどれくらいで終わるか見当がつかず、あまり休職期間が長いのも申し訳ないと思い職場へ退職を申し出た。

 

 

 

そして現在、結局旦那さんが経過観察になるまで夫婦共々ずっと無職でした(^_^;)

(旦那さんは傷病手当が出てますが)

お金の心配は尽きませんでしたが、旦那さんの医療保険がおりるから!!という呪文を唱えて不安を振り払いながら何とかやってきました。

何より旦那さんの望むように看病できたし、子供たちの傍に長くいられたお陰で今まで以上に絆が強まった気がします。

『 これで良かったな』

と最近は思います。

 

 

 

治療も落ち着き、最近また就職活動を始めました。

「今、人足りてないから戻ってきたら?」と前の職場を紹介してくれた知人に勧められましたが、辞める時に店長がかなり冷たい対応だったのが心に引っかかり止めました(^_^;)

研修で人件費もかかった挙句、長期休業&退職という店にとって損でしかない事態を招いてしまったので全面的に私が悪いのですが、『 どうせ旦那ががんなんて辞める為の嘘でしょう 』みたいな態度は辛かったです。

まぁ常套句ですよね、介護・看病とか。

本当なのになぁと思いつつも弁解しても仕方ないので平謝りして辞めさせて頂きました。

他のスタッフの方にも優しくして頂いたのにお役に立てずに申し訳ない気持ちでいっぱいです。

次は迷惑かけずに長く勤められると良いなぁ。